簡単だと衰えてしまうような気がするんです。
KEC Emi: 筋肉をつけておけば、軽いものも重いものも持てる。でも軽いものしか持っていないと、重いものが来たとき持てないっていう。
弘記: まぁ、そうですね。
KEC Emi: そうですね。そういう真実もあるかもしれないです。
弘記: はい。笑
KEC Emi: 読むときに、歯ごたえのあるものを読んで鍛えておく。その時は辛いけど、軽いものが来て、ラクに読めたときに、「あ、これは厳しいものを読んできたからだな」と思う。同じように、リスニングでも普段、あえて早口で聞き取りにくい、難しいのにしておくと、ゆっくりはっきりしたものが聞きやすく感じられて、「あ、鍛えてきたおかげだな」と思える。もし弘記さんがそう思うんであれば、その方法には利用価値があると思いますよ。「自分のやり方のおかげで、力がついてるんだ」って思えるって大事なことだと思うので、その経験則を生かしていくのは手ではあると思います。
弘記: でも、自己矛盾で、最近は結構8割ぐらい聞けるものを聞いてるんですけども。笑
KEC Emi: はい。笑
弘記: 迷ってるというか。
KEC Emi: それだと筋肉が衰えるような気がしてますか?
弘記: 少ししています…ね。でも2割の部分は難しいので、それでいいのかな、とは思ってるんですけど。
KEC Emi: なるほど。その筋肉的な、速聴みたいなトレーニングの仕方を、私はあまりやらないですけど、それもアリだと思います。ただ、ずっとそればかりでは辛いですよね。だから8割方聞けるものを選んで、鍛えるとしても残りの2割、でいいじゃないですか。それに対して、ズルさとか罪悪感とか、「こんなんじゃ、鍛えられないんだよな」とかって考える必要はないと思います。
弘記: (考える)
KEC Emi: 「聞き取りやすい」っていうのも、どういったものに対してそういう評価をされているかわからないですけれど、たとえば私たちの母語の日本語を考えたときにも、はっきり話す人と、そうでない人っていますよね。それはアメリカでも同じです。その中で、「鍛えたい」気持ちを持って、どんな方言やアクセントに対しても、こもった声も早口も、高いトーンも、どんな話し方でも克服してやろうっていうのも、一つやり方としてはあると思うんですけれど、その努力は他へ向けた方がいいような気もします。大学に入られると、周りに教養の高い人たちが集まりやすいので、わかりやすく話す人の方が多くなってくると思いますし。自分が実際に使う英語をターゲットとして、それが聞こえて、理解できるのであれば、「それでいい」と満足されるっていうのも、アリじゃないかなと思います。
弘記: 笑
KEC Emi: ま、そう言われたからって、「そうですね」って、簡単にはなかなか納得されなそうですけれど。笑
弘記: 笑 ま、そう…です…ね。
KEC Emi: そういう考えもあるんだなぁという程度にでも、どこかに記憶しておいていただけるといいかなと思います。
褒めたり、認めたり、も大事です。
弘記: うーん。(考える)…そうですね、たぶん受験英語みたいのから入ってるんで、その影響が大きいのかな。頑張ってやろうみたいな。他の教科と同じで、やってきたのかな。
KEC Emi: それはもちろん、本当にすごくいいことだと思いますよ。頑張ってやって、苦手を克服するってすごく大事です。
弘記: ま、ま、ま。笑
KEC Emi: 今日、弘記さんから聞いた中で、「そのやり方はちょっとマズイな」とか「やめた方がいいな」っていうのは全然ありませんでしたよ。
弘記: あ、そうですか。
KEC Emi: 「よく自分でそこまで考えられて、選択して、続けてらっしゃるな」と感心することばかりでした。
弘記: でもたぶん、思っていらっしゃるほどうまくはないので。たぶん身についてない感じはしていますね。やり方がしっかりしてると呼べるとしても、しっかりしてる割には、みたいな。笑
KEC Emi: 厳しいですねぇ。笑
弘記: 笑 いやぁ。
KEC Emi: 笑 厳しいことに良い面は確実にあります。でもそれ一本ではなくて、「これでいいんだ」って、自分を認めてあげたり、褒められたことに関しては否定せずに受け入れたりした方が、学習においても吸収が高まると思います。
弘記: はい。笑
KEC Emi: 性格的なものもあるので、ひょっとしたらご自身の中で、褒めたり認めたりすると気が緩んで、甘えちゃうんじゃないかっていう恐怖心みたいなものもあるのかもしれないですね。そのへんの折り合いはご自身でつけていただくとして、心の奥底では「よく頑張ってる」と、認めてあげてください。
弘記: 笑
(次回は最終回です)
No comments:
Post a Comment